五木寛之 『親鸞』2010/01/13


『百寺巡礼』を読んでいる時に、五木さんの仏教への造詣の深さを感じていたのですが、『親鸞』を新聞で連載していたとは知りませんでした。
物を知らない私は、昔のえらいお坊さんだからいい家の出で何不自由なく過ごしてきたんだろうと思っていました。
しかし、この本を読むと、親鸞が私達のような迷いの多い人であったことがわかり、身近に思えてきます。

時は平清盛の時代。親鸞は日野忠範という名でした。
父は朝廷の下級官人をしていました。
しかし、急に出家してしまい、残された母は流行り病で亡くなり、五人の子供たちはそれぞれ縁者にあずけられたのでした。
忠範は弟二人と一緒に京に住む伯父の範綱に引き取られました。
日野家は祖父の日野経尹が放埓人と烙印を押されたため、日の当たる役職につけない状態でした。

忠範は幼い頃から老成したところのある子でした。
父と母の苦しみを見てきたからかもしれません。
本来なら比叡山には入れない身分だったのですが、縁があり、彼は12歳で入山し、名を範宴と変えます。
19歳で一旦山を降り、お世話になった慈円の命により法然の説法を聞きに行きます。
法然と出合ったことをきっかけに、範宴は命がけで行を行うことにします。
この時、彼の中にあったのは「仏とは何か」ということです。
やがて、彼は山を出、町の聖となり、今でいうボランティアのようなことをしながら、法然のいる吉水に通い続けます。

おもしろいのは、自分が生まれ変わったと思った時に名を変えるのです。
29歳で法然の門にくわわった時に、範宴から綽空(しゃくくう)となります。
綽空となった頃から、彼は鹿野という女を妻としました。(妻がいるなんて、意外でした。)
選択本願念仏集という法然が書いた書の書写を許され書写し終えた時に、また名が変わります。
今度は法然から与えられた名で「善信」と言います。
いつ親鸞になるのだろうと思っていると、越後へ流刑される時です。
彼は4度名を変えるのです。

この本は史実を忠実に辿っているのでしょうか?
そうだとすると、なんとも壮絶な人生です。
ただの人から親鸞になるまでが書かれています。
その後彼が親鸞から名を変えなかったことから考えて、一人の宗教者として自己が確立したということでしょうか。
 
何も難しい仏教用語を使わず、法然や親鸞の教えを簡単にわかりやすく書いてある本です。